basyura's blog

あしたになったらほんきだす。

入社後に uncode とすら言われる環境が無かった

僕の代から新人研修で java が扱われるようになり、実務も java から入った(のは僕だけだったけど)。周りに java が書ける人といえば同じ研修を受けた同期(みんな怪しい)と独学でやっていた先輩が一人ぐらいだった。プログラムを書いている人はいても VB or Cobol or 汎用機な人たちばかり。先輩と言っても採用しない時期があったとかで 1つ、2つ上の先輩は数えるほどしかいない上に同じオフィスにはほぼいないし、その上の先輩といったら 10 ぐらい上になってしまっていて当初から空洞化ひどいなとは思っていたけど今思ってもやっぱりひどかった。その代わり自分の代を含めて以降はそれなりの人数が入ってきていたのでなんとかなったんだろう。辞める人も多かったけど。

そんな中で PG するわけだから頼れるのは java を趣味でやってた先輩だけだし、ソースレビューなんてまともにしてもらった記憶が無いので自分でも怪しいなぁとは思いつつも書いていたのが実情だった。uncode すら言ってもらえない状態。

関東に出張したり転勤したりを繰り返していたのだけど、「勉強会」であるとか「カンファレンス」であるとかましてや「RubyKaigi」のようなプログラム言語を中心とした会があるなんて想像すらしてなかった。なので、ひたすら Java World や WebDB Press といった雑誌やプログラムの書籍を購入して読むことがメインだった。

書籍が悪いとは思わないし、むしろ糧になったとは思うがもうちょっと PG ができる先輩とか、知り合いがいればもうちょっとあの頃なんとかなったんじゃないかとはよく思う。なので、入社して同年代の先輩がいて教えてもらえる環境っていうのはちょっと羨ましい。

そんな中で自分がそれなりにスキルをつけるきっかけになったのは、以下の 2 つだと思う。

  • まがりなりにもコードを書き続け、他人のコードをメンテしリファクタリングし続けたこと
  • Ruby にであったこと

プログラムスキルがあると言われ、自分もそうだと思っていた人たちが書いたコードをメンテすることになって現実を知ったのが 1つ目。とにかく読みづらいし、クラス構成も怪しいし、オブジェクト指向?だった。これ cobol じゃないよね・・・とか思いながら他にメンテする人がいないのをいいことにゴリゴリ直しまくっていた。この時の経験でどうしたら読みやすいコードになるのかをよく考えるようになったし、本当にスキルがある人のコードはこいうものなのかと参考にしたりしていた。

2つ目は Ruby にであったこと。とあるプロジェクトのすごい人がおススメしていたのがきっかけで触り始めた。 java しか知らなかった自分の世界がそこから一気に広がっていったのを覚えてる。単純に Ruby でプログラムを書くのも楽しかったし、考え方を学ぶのも楽しかった。Ruby そのものだけではなく linux であったり mac であったり、web server、db、コマンドライン、エディタなどなど追い切れないほどのことで世界が広がってることを体感できたのが大きかった。

matz が使っているから、という理由で買ったばっかりの Let’s note に debian を入れようとしたけど全然入らないし、fedora 入れたら画面が明るすぎて目が痛いけど変え方がわからない。ubuntu を入れたら発熱ひどくて長時間使えないとか。良い思い出。このへんで「sudo apt-get install/update/upgrade」を覚えてこわごわ叩いたり、「make」したらメッセージたくさん出て意味分からんとかなったりを繰り返してちょっとずつコマンドラインに耐性がついた。

まだまだひよっこなわけだけど。

話がずれてしまったが、自分もソースレビューしてくれる素敵な先輩が欲しかったよ、というただ一行を書くつもりがおっさんの昔語りになってしまった。

台風きてるし明日は休みたい (=ΦωΦ)